横田小児科医院

院内報

こあら通信 第133号 May 2009

目次

・夫婦二人の生活
・「相談室からの風景から」
・ヨコピーの子ども講座-「肥満」
・スタッフ紹介
・編集後記

夫婦二人の生活

 長かった今年の桜も終わって、気持ちのよい朝を迎える日が多くなりました。まだおぼつかないウグイスの声を聞きながら、愛犬と朝の散歩を楽しんでいます。

 三女が医学部に合格して大学の寮に入ることになり、1週間くらいで家を離れてしまったため、突然家内と二人だけの生活に逆戻りしています。こんなに長く子どもがいない生活は27年ぶりです。

 もちろん三人の娘たちから毎日電話がかかってきて1日の様子を家内と話しているのですが、食事を作る張り合いがない、何をしていても子どものことを思い出して寂しくなってしまうと家内はこぼしています。

 子育てをしていると、たいへんなときには「いつまでこんな生活が続くのか」と思うこともあるかと思いますが、子どもが巣立ってしまうとあっという間のことだったことに気が付きます。どんなに辛いと思っても、やはり子どもを育てているときが最高です。でもどこかで子どもは巣立っていかなくてはなりません。子離れ、親離れはどうしても必要なものですし、これが上手にできないと子どもにもいろいろな影響が出ることがあります。

 生き物にとっては命を繋げることが一番大きな目的です。どんな生き物も、自分の命を受け継がせるために様々な工夫をして生き続けているのがわかります。もちろんヒトも永遠に種が続くわけではないかもしれません。どんな生き物にもあるように絶滅という危機が待っているかもしれないのです。それでも命を繋げるために私たちは生きているのです。だからこそ、子育てには苦労だけではなく大きな喜びがあるのではないでしょうか。

 そうは言っても、家内と二人だけの生活もまんざらではありません。あまり喧嘩をしなくなったように感じますし、二人で出かける機会も少しは増えています。二頭の愛犬も私たちの仲を取り持ってくれているように感じます。

 二人だけの生活も悪くはありませんが、子育てまっ最中の方々は今を大切に、そして楽しく過ごしていただきたいと願っています。

「相談室からの風景から」
「寺小屋お師匠の不登校は、突然やってくる」

 今回は、どのように不登校になっていったのかを、A君の場合を例にして、紹介したいと思います。

 A君の家族は、お父さん、お母さん、Aくん、そして、2つ違いの弟の4人でした。 A君は、小学校6年生まで、自然がいっぱいの地方都市で暮らしていました。A君は、親に反抗することもなく大人しいとても良い子でした。友達もたくさん居ましたし、仲良く遊んでいました。

 生き物が大好きで、自然の中でよく遊んでいました。春は、田んぼの中で、オタマジャクシやカブトエビを捕っていました。夏になると、川でオイカワを網ですくっていました。

 また、カブトムシやホタルも捕まえていました。カブトムシは、自分で飼って、世話をして、卵から親になるまで面倒を見ていました。秋は、真っ赤なアメリカザリガニを吊りにいきました。冬は、林に行き、テントウムシを見つけたり冬眠している小動物を見つけたりしていました。本当に自然が大好きな子供でした。

 学校の宿題は、母親に言われれば、逆らうことなく素直に全部やっていました。ゲームも30分と決められれば、ちゃんと守る子供でした。

 学校では、5年、6年と児童会の委員に立候補し、委員になり、活動をしました。

 ある時学校で、桜の苗木を植えて育てることになりました。何日かすると、桜の枝が折れているのをA君は見つけました。彼は、家から包帯を持ってきて、折れた桜の枝を包帯で巻いて手当をしていました。そんな優しい一面を持っていました。

 そんな彼が、小学校を卒業するのを機会に、お母さんの実家がある都会に引っ越すことになりました。中学、高校を考えると、都会の方が良いだろうと思ったからです。

 お母さんとA君、そして弟の3人が、母親の実家に戻ってきました。

 4月から、A君は、1学年10クラスというマンモス中学校に通うことになりました。

 今まで、友達と仲良く上手くやってきたA君は、ここでも、クラスに溶け込もうと張り切ったのです。クラス委員になって活躍しようとして、立候補したのです。しかし、誰も支持してくれることなく、落選したのです。小学校では、2クラスしかない小さな学校でした。皆がA君の事を知っていて友達でした。しかし、このマンモス校では、誰一人として彼を知っている子供は居なかったのです。

 入学して、1~2週間した頃に、学校の林間学校で、八ヶ岳方面に2泊3日で泊まりの学習がありました。そこで、自己紹介が行われました。A君は、「僕は、○○市から来ましたAです」と自己紹介をしました。そのとき、クラスの子供が「おまえ、そんな田舎から来たのか!」「そんな田舎じゃ、電気も来てねえんだろう!」等々、A君を馬鹿にした言葉を浴びせたのです。

 都会では、「虫好き」のA君は、浮いてしまいました。やがて、いじめのターゲットにされるようになって行ったのです。それから、陰湿な小さないじめが始まったのです。アザを作って帰ってくるようになりました。

 運動が好きでないA君は、体力測定等があると、腹痛を起こすようになりました。

 6月位からは、だんだん「行きたくない」と言い始めていました。

 母親は、「具合が悪いなら、遅刻して行ったら!」「具合悪くなったら保健室に行けばいいよ」等々、A君を優しく励まして登校させたのです。A君は、20分位で着く中学校までを、1時間かけて行っていたのです。

 部活もバドミントンに入り、練習にもちゃんと参加しました。日曜日になると、家族4人で近くの体育館に行き、父親がA君の特訓を始めたのです。(父親は、中・高とテニスを続けてやったスポーツマンなのです)A君は、文句も言わず、父親の特訓を受けていたのです。

 6月上旬の中間テストは受けたのですが、その後から休みがちになりました。しかし、7月の期末テストを受け、夏休みまでは登校しました。夏休みになっても、部活の練習は行っていました。試合にも出してもらえ、いい感じで過ごしていました。母親も、ホッと一安心をしたのです。

 8月の初めに、自転車で転んで、手を骨折してしまいました。A君は、ギブスをはめたまま、父親のいる田舎へ、家族で行ったのです。6年の時の友達に会えると期待して行ったのです。しかし、うまく連絡が取れず誰にも会えなかったのです。その代わり、小学校の教務主任の先生と、隣のクラスの先生が、家まで会いに来てくれたのです。しかし、A君は、嬉しくはなかったのです。

 9月になり、学校が始まりました。第二土曜日が「体育祭」でした。1年生は、組体操をすることになっていたのですが、お医者さんの「やめた方がいい」というアドバイスをもらって、A君は、組体操には、参加しませんでした。出られる競技には出ましたが、運動神経があまり良くなくて、運動が嫌いなA君は運動会の係に参加し、一生懸命仕事をしました。

 体育祭が終わってから、A君は「学校へ、行きたくない」と言いだしたのです。朝、布団から出て来なくなったのです。担任の先生が心配して、毎朝7時半頃になると、電話をかけてくるようになりました。A君は、その時間、布団から出てこなくなったのです。

 食事も取らず、具合の悪い日が続いていました。当然、学校へは行かれません。

 9月のお彼岸の頃に、祖父母も流石に心配になり「医者に連れて行った方が、良いんじゃないか?」と言い出しました。そこで、母親は、神経科にA君を連れて行ったのです。

 医者は、「学校へは、無理して行かなくて良いんだよ」とA君に言ってくれました。A君は、少しホッとしたようでした。続いて医者は、母親に「お母さん、随分、追い込みましたね!」と言ったのです。母親は、ショックでした。

 担任にも、医者の話を伝えたところ、電話はしてこなくなりました。その頃から、A君は「物を壊したくなる」と母親に言って来る様になりました。母親は、A君に、屋内のガレージで、新聞紙を好きなだけ、裂くことをさせたのです。それを見た祖父が「これは様子がおかしい」と父親に連絡を取ったのです。父親は、そのとき、初めて息子の不登校を知ったのです。

 ここまでが、前半です。後半は6月号に載せたいと思います。

ヨコピーの『こども講座』
「肥満」

小児の肥満は生活習慣病!原因は遺伝(体質)3割に対して環境7割くらいの割合ですが、最大要因は過食です。摂取カロリーが消費エネルギーを大幅に上まわると肥満になります。乳児の肥満はその後の肥満に必ずしもつながりませんが、10歳前後以降の肥満は成人の肥満症につながる可能性があります。肥満自体は無症状ですが、肥満の状態が長く続くと、糖尿病、脂肪肝、高血圧、睡眠時無呼吸症候群などの健康障害が起きやすく、場合によっては命に関わります。このまま肥満が続くと、大人になってから動脈硬化による病気(心筋梗塞、脳梗塞など)を起こしやすくなります。乳幼児の肥満や、高学年児でも軽度の肥満は、それ以上太らないように注意していると、成長にともなって身長とのバランスがとれるようになるので、積極的な減量は必要ありません。しかし、体重の増加が成長曲線を大きく上まわり、肥満の程度が強いときは、家庭の生活習慣に問題はないか見直してみましょう。

判定基準及び算出式
★ローレル指数・・・体重(kg)÷身長(m)3×10  140以上:太りすぎ、160以上:肥満
★大人の肥満の判定法 Body Mass Index(BMI)=体重(kg)÷身長(m)2
 BMI値は22が標準、25以上なら肥満です 

スタッフ紹介

看護師 林 優子

はじめまして。3月からパートで働かせていただいています林優子です。大都会の横浜で生まれ育ち、ド田舎?の山北で子育て中(小学校2年生の男の子、年中の女の子)です。小児科で働いてみたいという夢をいだきはや20年。自分の子ども達のかかりつけだった、大好きな横田先生のところで働けることになり、幸せいっぱいです。先生やスタッフの皆さんに支えていただきながら笑顔で頑張っています。これからもどうぞよろしくお願いします。

看護師  田所和美

はじめまして。4月から健診&予防接種の時間、看護師としてスタッフになった田所和美です。今年5歳と2歳になる息子の母として、日々悩み楽しみながら育児に奮闘しています。短い時間ですが、みかけたら気軽に声をかけて下さいね。皆さんと一緒に子ども達のことを考え、笑顔になれるように、少しでもお力になるためいつも笑顔で頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。

編集後記

今月の「相談室からの風景」は元の原稿を大部省略して載せてあります。興味ある方はHP版こあら通信をご覧下さい。緑がきれいですね。庭の草木、山の樹々にたくさんの緑色があって、さあ?やるぞ?というエネルギーが湧いてきます。そして5月は衣替えの季節です。色とりどりのかりゆしに衣替えして、新たな気持ちで皆さんをおむかえしたいと思っております。

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